社会的に「終わった」と思われても人生はまだ終わらない

乙武洋匡さんのインタビュー記事に出会った。とても共感した。

 

社会的に「終わった」と思われても人生はまだ終わらない

 

五体不満足でありながらもアグレッシブに活動し、明晰な頭脳と鋭い洞察力で人気を得てきた乙武さんは、自身の不倫騒動でマスコミにも世間にも叩かれた。この時、乙武さんはまさに「社会的に終わった」と言える状態にあった。

 

そんな騒動から2年余りが経ち、新しい小説「車輪の上」を書いたことによる乙武さんのインタビュー記事がこれだ。https://ddnavi.com/interview/498372/

 

その中で乙武さんは「『あいつ人生終わったな』と思われても僕の人生はまだ全然終わってない。むしろこれからの方が長い場合もある」というような事を言っている。

 

私にも「終わった」と思う出来事があった。

 

2015年の事だ。

遠路はるばる、千葉県から高知県の私のうちまで友人が遊びに来てくれた。

 

そして折角四万十に来たのだからと四万十川に遊びに行った。楽しく遊んでいたがライフジャケットは着けていなかった。そして彼女が川に流されて亡くなってしまった。

 

本当に文字通り彼女の人生は終わってしまった。悔やんでも悔やみきれず、悲しんでも悲しみが尽きることは無い。

 

そんな絶望的な感情の中「私終わった」「もう誰にも合わせる顔がない」そんな風にも感じていた。同時に、人が一人亡くなったというのに今後の自分の事を考えるなんて穢らわしいという気持ちにもなったのだが。

 

その時、私は「社会的に終わった人達」の気持ちを理解したような気がした。私も終わったと…。しかし、幸か不幸か私は生きていて終わりたくても終わらない。私の人生は続いていたのだ。

 

あの事故は嘘みたいな話だと今でもたまに思う。嘘であればよかったと心から思う。けどやっぱり本当で、彼女の人生は終わってしまったし、私の人生は続いてしまっている。

 

そう。

命を絶たれない限り人生は続いていく。

 

人は過ちを犯すし完璧なんてありえない。誰かから見た長所は他の誰かから見た短所になりうるし、逆もまた然り。

 

だから、何があってもどんなに嫌なやつでも、社会的に終わったとしても、なかった事にしないであげてほしい。無責任に追い詰めないであげてほしい。ずっと生きていなくてはいけないんだから。死なない限り人生は終わらないのだから。